【新唐人日本2011年3月2日付ニュース】
司会者 蕭茗
「こんにちは、 “世事関心”の時間です。本日は“二面性中国――危機(上)”ー環境破壊を取り上げます。番組に対する皆様からのご意見、ご提案をお待ちしています。番組最後のブログを通じ、さらに交流できることを願います。では“二面性中国”の危機(上)をどうぞ」
安徽省と江蘇省を流れる奎河は、全長わずか180キロあまりの小さい川です。今、ネットで検索すると、この奎河の深刻な汚染、特に川の両岸にある癌村が次々とヒットします。中国メディアの報道も最も盛んなようです。
1980年代初め、奎河の安徽省宿州市の部分は、すでに癌の多発地域になっていました。癌の死亡率は、WHOの発表する世界の平均癌死亡率の200倍近く。
これを受け1983年、国務院は27号文書を発表。断固とした手段で、奎河の主な汚染源を解決し、奎河の水質をその年のうちに改善することを要求。しかし10年後、1993年10月23日、国家環境保護局の調査チームの推定では、この時点で汚染排出量は減っていないばかりか、3倍に増加。
1994年、安徽省の作家陳桂棣さんは、奎河下流の尹集鎮を調査し、“淮河の警告”を書き上げました。
これによると、1993年からの2年間で、尹集鎮では家畜が毎日2頭、合わせて869頭が死亡。住民65,173人のうち、発病患者は11,075人、665人が死亡、うち330人が癌でした。
現在、このような悲劇は奎河の両岸に限りません。2007年5月、中国国土資源省は、中国で汚染された田畑は約1,000万haに上ると発表しました。
全人代・常務委員会が2006年8月26日に出した環境検査報告書は、汚染の深刻さを容赦ない表現で記しています。
国家環境保護省も、中国の農民3億人余りが安全な水を飲めず、4億人余りの都市住民が汚染された空気を吸い、結果1500万人が癌などの呼吸器疾患になったと指摘。
中国衛生省のデータからも、近年、癌による死者は毎年200万人、都市住民の癌死亡率も過去30年で8割以上上がったことが分かります。
実は環境汚染が、癌激増の重要な原因です。全国28の省と市の調査によると、3割以上の子供に鉛中毒の痕跡が見られ、都市の夫婦の10分の1が汚染のため不妊、または奇形児を出産。近年、環境問題が招いた集団抗議事件も、年29%のスピードで激増しています。
2005年、全国で起こった環境汚染の紛争は、5万1,000件。急速な経済成長と共に、環境汚染で生まれた“癌村”“奇病村”が中国大陸で続々と誕生。土壌、空気、水の汚染が生んだ“癌村”は、チベット自治区以外の全ての省で見られます。
メディアに暴露された癌村を集めただけでも、実に長い、死亡リストが作れます。
20世紀の半ば、タイ南部のナコンシータマラートの一部地域で、黒足病が出現。足の皮膚が黒くなった後、ただれて壊死する病気です。1987年まで、この地域の成人のほとんどが、この病気にかかりました。
1992年、タイ政府は経済省の地質調査部を派遣。イギリスの地質調査所との合同調査で、1994年、ついに病気の原因が、大規模な鉱山開発による水源のヒ素汚染だと分かりました。
これを受け、タイ政府はすぐに、地元の水源の浄化に着手。今では、この地方で黒足病は1例も出ていません。
ここで中国を見てみましょう。中国ではすでに多くの癌村が暴露されたものの、その後、どんな措置が取られたのでしょうか。
ドイツ在住水利専門家 王維洛博士
「中国の環境保護、または環境保護政策、欧米、世界と比べても、さほど差があるわけではありません。技術的にも、差はさほど大きくはありません。ただ肝心な点、つまり最も大きな違いは何なのでしょうか。
民衆による監督、メディアによる監督、この方面が中国はまったくありません。環境保護の面では、役に立っていません。
アメリカのハリウッド映画には、環境保護を取り上げたものが多くあります。例えば、ジュリア・ロバーツが主演した“ブロンコビッチ”という映画です。この映画の主人公は、失業した女性、しかも離婚した子持ちのシングルマザーです。彼女は、環境保護の裁判で弁護士を手助けする、そういう内容です。環境を汚染した企業を訴えたのです。
ジュリア・ロバーツは、この映画でアカデミー賞を獲得しました。なかなか素晴らしい演技でした。でも、この話は中国では上映できません。なぜでしょうか。これが上映されれば、アメリカでは、環境が汚染されると、市民は裁判で相手企業を訴えることができると中国人に気づかれてしまうからです。司法の場で訴えるのです。最終的に、会社は多額を被害者に賠償します。この映画では、どの被害者も皆、100万ドル以上の賠償を得ました。
中国人がこの話を知れば…中国にも多くの汚染がありますし、多くの活動家もいますから、彼らも賠償を求めるでしょう。しかし、中国政府はそれを許しません。だから、司法で環境問題を解決する道は、中国では閉ざされています」
引き続き、淮河の汚染対策の15年を振り返ります。
メディアにも頻繁に報道され、関連法規が最も多く、投入資金も最大の、15年にわたる環境対策事業。ここから、中国の生態環境危機とその源が見て取れるかもしれません。
淮河、河南省の桐柏山区を水源とし、河南省、安徽省、江蘇省、山東省の4省にまたがり、流域面積は26万9,000平方キロに及び、1億5,000万人の命を育みます。しかし1980年代以降、淮河の主な支流の汚染は、日に日に深刻さを増していき、水質も急激に悪化しました。
90年代初め、淮河の主な支流の16のうち、半分以上の部分で、国の定める水質の最低基準におよばず、一切の利用価値を失い、人々の健康を直接害しました。
淮河沿岸の汚染地域では、水汚染による癌発生率が全国平均の10倍以上。
中国の七大河川の汚染ランキングで、淮河はワースト3位に過ぎません。もっと深刻なのは、海河と遼河です。黄河がそのあとに続きます。淮河から、中国の水汚染の一端を覗くことができます。
水資源は生態資源の中で最も重要で、かつ日常生活への影響が最も目立つ要素です。そこで水汚染から、中国の生態環境の全体が見えてきます。
1994年7月中旬、淮河で大規模な汚染事故が発生。上流が長期的な豪雨に見舞われた後、ダムの主な水門が一気に開かれました。元々、ダムに貯めてあった汚染水が淮河へ怒涛のごとく、下流へ流れ込みました。
淮河の下流の、上は安徽省五河県から下は洪沢湖まで、百キロにわたり、汚染ベルトが出現。2億トンもの汚染水が下流へ流れ、中流下流の淡水養殖業を壊滅しました。
安徽省北部の工業は麻痺し、百万人近くが飲み水を失ったほか、汚染ベルトが到達した所は皆、泡と死んだ魚だらけに。あたかも“死んだ河”になりました。
この種の突発的な特大の水汚染事件が、初めて発生したのが1974年。2回目は4年後、3回目は3年後、4回目、5回目、6回目は2年おきに起き、90年代に入ると、毎年2回以上に。
この後、中国国務院は、“淮河流域の重大汚染事故・再発防止の緊急通知”を出したあと、さらに1995年8月8日、中国初となる流域性の法令“淮河流域の水汚染防止の暫定条例”も出して、1998年1月1日から、工業企業が淮河に基準以上の汚染水を流すことを禁止。
2000年、淮河流域の主な川や湖、ダムの水質が淮河流域水汚染防止計画の基準に達し、淮河の水質が改善。ここから、数百億元を投じる淮河汚防止事業が始まります。
1998年1月1日“人民日報”は大々的に、“年明け早々、淮河から朗報が入ってきた。淮河沿岸の汚染源の企業が排水基準をクリアし、汚染の負荷を40%以上軽減”と報道。
11:41~11:56
2001年、1月15日、環境保護総局の汪紀戎副局長は、中国当局の測定データによると、淮河は基本的に、国務院が提出した2000年水質改善の目標を達したと発表、その証明として、新華社は“淮河に釣り人が戻った”との特集記事を掲載。状況は、人々が期待する方向に向かっているかのようでした。
淮河の汚染対策の成功が報道された3日後の99年1月4日夜9時40分、江蘇省徐州市に1日20万トンの水を送る浄水場が、水源の水質が急激に悪化したため、運転停止となり、約40万人の飲み水に影響を与えました。
1998年4月1日、淮河支流の洪河の水質検査によると、化学的酸素要求量は基準の70倍、過マンガン酸塩は基準の約60倍でした。
ドイツ在住水利専門家 王維洛博士
「化学的酸素要求量とは、水中の有機物が酸化還元の過程で、必要な酸素の量で、酸素消費量とも呼びます。
簡単に言えば、化学的酸素要求量が高ければ高いいほど、水の汚染も深刻になります。中国の地表水の環境アセスメントですが、1988年に、ある指標が定められました。2002年に、この指標がまた修正されました。
世界の流れからいうと、他の国も指標を修正していますが、指標の修正、世界全体の傾向としては、どんどん厳しくなっています。しかし中国の環境保護、地表水の基準は、いわゆる“中国の特色”を余すところなく見せ付けています。外国とは違って、基準がどんどん緩くなっているのです」
2000年の元旦、国務院が定めた淮河の水質改善目標の後も、汚染事故は絶えません。2001年7月下旬、淮河の水質が汚水によって、再び悪化。百社以上の企業が、生産の停止か減産に追い込まれました。
支流と局部地域で、この種の事故は深刻さを増し、2004年4月、淮河水利委員会は、淮河の58.1%の水はⅤ類か劣Ⅴ類だと認めました。
その年の7月20日からの1週間、淮河に突如、史上最大の汚染ベルトが出現。全長133キロ、5億トンを超える黒い汚染水です。汚染規模は前回、つまり1994年の特大汚染事故を超えました。10年間の河川事業の挙句、改善どころか、逆に悪化したのです。
汚染と対策をいつまでも繰り返す淮河。これは決して、孤立した特例ではありません。2007年5月、景観の美しさで知られる太湖が、富栄養化のため、藍藻が大量発生。江蘇省無錫市では、数百万の市民が水を飲めず、使えなくなる局面に陥りました。
中国人がこぞって、太湖の汚染と対策を熱く議論していたこの頃、意外なことに、太湖の汚染対策はすでに、国の重点事業として5年計画を3度も実施していました。
1992年、当時の李鵬首相はブラジル、リオデジャネイロの“地球サミット”で、野心的な環境保護計画を発表。太湖の水汚染対策は、そのうちの1つで、この年、“太湖対策指導チーム”も設立されました。しかし3年後の1995年、太湖の汚染は防止どころか、逆に悪化していました。
太湖の汚染対策はこの後、第9次5ヵ年計画、続いて“第10次”“第11次”の5ヵ年計画に指定されました。
15年と70億元(約880億円)が投入された結果が、2007年の太湖での藍藻大量発生でした。
2007年、温家宝首相は、太湖の汚染対策の長期的で困難、複雑な点を十分認識して、自信を持ち、努力するよう励ますしかありませんでした。
ドイツ在住水利専門家 王維洛博士
「現在のこの政府は、5ヵ年計画の中に入っている、淮河や太湖の対策に対し、全く自信を抱いていません。しかし、中国はお金を投じていないわけではありません。確かに、多額を投じました。
多くの事業もやりました。汚水処理施設も建てましたが、ほとんどは使われませんでした。使われないというのは…、まず企業はコストを計算します。汚水処理施設を稼動させようとしたら、コストがかかりすぎます。それなら、企業は基準を超えて排出する方がいいと考えます。そうすればもちろん、罰金を取られますが、それでもこの方が安上がりなのです。
このように得失を勘定します。もし、罰金を払うお金を賄賂として官僚に渡せば、コストはもっと下がります」
大きな川や湖の対策には、巨額の資金が必要な上、複雑な問題が絡み長期化するため、効果が上がらないのだとすれば、では、冒頭に取り上げた小さな川の奎河の措置は、どうだったのでしょうか。
報道によると、20世紀末以来、奎河の上流の汚染源、徐州市は、電気めっき工場など汚染企業14社を閉鎖。1994年12月、徐州市は世界銀行から億に上る借金をして、淮河流域に中国初の最大規模の都市汚水処理場を建設。
1980年代、国務院は奎河の汚染対策の文書を出したほか、地元も各種対策を打ち出すなど、奎河は汚染と対策を30年近くも繰り返してきました。
しかし下流での測定によると、今でも奎河の水質は、毎年劣Ⅴ類です。
ドイツ在住水利専門家 王維洛博士
「中国の地表水は5類に分かれます。Ⅰ~Ⅴ類で、ローマ字で表します。Ⅰ類は一番良いです。Ⅴ類は最悪です。Ⅲ類は、飲み水に使える水源です。Ⅳ類は、農業用水にしか使えません。Ⅴ類は汚染水で、全く経済的な実用価値がありません。
後になって、中国の汚染水が増えてきたため、もう1種類加えました。それが劣Ⅴ類で、合わせて6種類の水です。劣Ⅴ類の水は、見たところ、まるで油のようです」
中国環境監測ネットは、安徽省宿州市の奎河の2010年の水質が、劣Ⅴ類だと発表。劣Ⅴ類の水は、すでに基本的な水の機能を失い、工業用にも農業用にも使えません。結果、楊荘郷の住民50万人が衛生的な水すら飲めませんが、地元政府は清潔な水源を提供する能力がないと述べました。
しかし、それでも中国国営メディアは、声高に奎河の汚染対策を称賛。2009年5月、国慶節60周年を控えて、“中国環境報”は、“30年かけて続けられた汚水対策 奎河浄化の小話”を発表。30年近い汚染対策の結果、奎河は抜本的に変わったとあります。
2008年度奎河の黄橋郷の水質の各指標が、国の基準に達したともあります。さらに、奎河の両岸の装飾付き手すりや生態護岸提、娯楽施設、フィットネスセンターなども紹介。
実際はどうなのでしょうか。中国環境監測ネットの実測データによると、この記事が出されたちょうどこの頃、2009年5月、基準に達したと記事に書かれた江蘇省黄橋郷からわずか10キロの下流にある、安徽省宿州市楊荘郷では、奎河の水質は依然として最悪の、劣Ⅴ類でした。
この直前の2008年2009年、年間の楊荘郷の奎河の水質は、ずっとⅤ類と劣Ⅴ類でした。
ここ数年、中国メディアは、環境問題を暴露する報道を増やしています。結果、中国メディアは環境問題に対して、監督作用を果たしていると思われがちです。しかし、中国当局は環境問題の報道で、メディアへの締め付けを弱めてはいません。
実際、生態環境は日増しに悪化の一途をたどっています。つまり問題が深刻になって、もう隠せなくなった段階で、メディアはようやく報道するのです。例えば、中国各地の多くの癌村。メディアは大々的に報道するものの、矛盾を緩和するためのやむをえない措置に過ぎません。中国メディアは、政治の制約を受けざるを得ないので、現在、環境問題を盛んに報道しているように見えますが、実際には、中国メディアの監督の役目にはかなり制限があります。ひいては奎河のケースのように、暴露と隠蔽が同時に行われることもあります。
ドイツ在住水利専門家 王維洛博士
「この環境保護措置を誰が評価するのかですが、基本的に政府の行為です。全部、政府の環境保護部門がやります。彼らが政策を定め、基準を決めて、測定します。彼らが招聘した教授がやります。つまり、政府がやるのであって、庶民やメディアは関わりません。第3者の関与がないのです」
経済発展が生態環境を破壊することは、めずらしくありません。20世紀前半、イギリスのロンドンやアメリカのロサンゼルスで、光化学スモッグが発生。アメリカはさらに、過度な開墾による“黒い嵐”が起こり、日本でも、廃水が招いた水俣病が発生。これらすべての先進国に共通するのは、当時、環境と発展に対する認識には限りがあった点です。
一方中国経済が発展し始めた頃、すでに他国の十分な経験と教訓がありました。過度な土地開発、大気汚染の代償、水汚染の悲惨な教訓を知っています。しかも、環境破壊とその回復や措置などで、先人にはすでに、ある程度の技術、管理経験の研究と総括があったのです。
ご存知のように、近代化において、発展してから破壊された環境を回復するのは、発展しながら環境保護の措置をとるのと比べると、ずっと代価が大きくなります。しかも、破壊された生態環境と資源すべてが元に戻せるわけではありません。これは痛ましい教訓であり、必ず経るべき経験ではありません。
ドイツ在住水利専門家 王維洛さん
「緑のGDPとは、経済成長のスピードが環境破壊によって遅くなることで、中国はマイナス成長です。中国の環境破壊は経済成長よりも大きいからです。つまり、これでは経済成長全体が意義のないものになります。実はこういうことなのです。自分の周りの生活環境を、さらに次の世代の資源や環境を破壊しているのです。自分の心身の健康すら壊したのです。これでは生きる意義があるのでしょうか。経済の発展の果てに、癌になって何の意味がありますか」
バランスと公正さに欠ける発展。これは、政権維持を何よりも重んじる共産党が、社会の正義を犠牲にしても、目先の利益に走る路線の延長です。時間がたつにつれ、経済改革の当初、おろそかにしてきた環境問題が、すでに人々の生存を脅かすまでに深刻化しています。さらには統治者の足元すら揺るがし始めています。
1970年代末、当時の共産党指導者が経済発展により、絶壁に追い詰められた政権を救ったとすれば、今日、経済発展で犠牲になった社会の公正と環境が、逆に、共産党指導者を追い詰めています。中国社会は今、この軌跡に沿って、もう一方の絶壁に猪突猛進しているのです。